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 第2日  渋谷〜二子玉川(追加)       

                歩いた距離 6.8q  2002.09.22

 渋谷から二子玉川まで4月28日に歩いたが、その時は桜新町を通る「新道」を使った。

 しかし、代官屋敷を通る道が古い矢倉沢往還であるということで、
追加して三軒茶屋から用賀まで歩くことにした。

 三軒茶屋の国道246と世田谷通りの分岐点にある大山道標の
「右 富士(世田谷・登戸)道」を行くわけである。

yagu02-30.JPG yagu02-31.JPG 世田谷通りは、三軒茶屋を離れると
車は多いが、急に人通りが少なくなる。

 環七通りに面して、駒留八幡神社がある。
 広い境内で、緑が多く静かな雰囲気である。

 太った明治39年(1906)の「江戸」狛犬がいる。
石工は世田谷村下○原峰吉である。右アにいる子狛が玉を抱えているのが面白い。

 境内に常磐弁天社があり、琵琶が奉納されている。

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 世田谷通りを行くと、石材店「石峰」がある。屋号の印に「原」の文字が入っている。
駒留八幡神社の狛犬を作った石工「原峰吉」の店であろうか。

 上町に天祖神社がある。
 青銅の屋根で清楚なたたずまいの社殿であるが、囲いがしてあって狛犬に近づけない。
 溝の口系の厚い唇でひしゃげた顔の「江戸」狛犬で、左右とも子狛と玉を持っている。

 道をはさんで世田谷代官屋敷がある。
これは江戸時代の彦根井伊家の代官大場氏の屋敷である。

 茅葺きの母屋、表門が関東地方の代官屋敷の規模をよく保存しているといわれている。
白洲もあり、公務の場でもあった。

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 敷地内に郷土資料館があり、解放されている。

 その玄関脇に、享保13年(1728)と文化13年(1816)の
庚申塔や「西ハ大山道」と書かれた大山道標などが
集められている。

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 代官屋敷の前の通りが、毎年年末年始のボロ市が行われる通り
である。
 注連飾りなどの正月用品、骨董品、農具などの他、
野良着や草履などの補修用のボロまでが売買されたことから、
ボロ市の名がついたという。

 このボロ市通りも、市の日とちがい閑散としている。 

 ボロ市は天正6年(1578)に、小田原城主北条氏政が世田谷城主吉良氏朝に
楽市を開かせたのが起源である。
 中原街道の武蔵中原の泉沢寺に同じ様な説明板があったのを思い出す。
(泉沢寺は世田谷領主吉良頼康が天文19年(1550)に吉良氏の菩提寺を移した寺で、
 この地の繁栄を図るため税を免除して、居住を促し門前市を開いたという)。

 この吉良氏は忠臣蔵で有名な三河吉良氏の支流にあたる。

 代官屋敷を出て用賀に向かうと、畳屋の前に風化した石碑がある。
 これはかつてこの場所に大山道標があり、今は代官屋敷に移してあることを
示している。

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 世田谷通りを横切る。

 弦巻の住宅街に入りすぐの道角に、ブロンズの旅人が腰掛けて
一服している像があり、大山詣での説明板がある。

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 用賀駅の近くの商店街の入り口に
「大山道追分」の新しい道標がある。

 ここが代官屋敷経由と桜新町経由の矢倉沢往還の
分岐点ということである。 

 用賀から乗車して、帰宅。
 

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